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「受け入れる事」と「受け止める事」

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    私は悩んでいました。
    どうしてこんなに起伏が激しいのだろう。

    上手くいっている時とそうでない時。
    義父との闘い。許せない思い。

    色んな事が私の中を駆け巡り、自己嫌悪に陥る。
    自分が嫌いなんだから、他の人にいい感情を持つはずがない。

    今日。紹介をよくしてくださる恩人の方より本が届きました。
    本の中に「受け入れる」と「受け止める」という言葉がありました。

    読んでいて気が付いたのです。
    私は全部「受け入れる」をしていて、その時いつも腹立たしかった。
    いいときは感動で涙し、悪いときはイライラと怒る。

    「受け止める」って事を覚えたらどうかと。
    「受け止める」が外玄関で「受け入れる」が中の玄関。

    その奥行きの深さに、自分にとって容認できないような事も
    入れていけばいい。

    そんな考えに気づくと、心が開放されてきました。
    直ぐにパンパン反応するのもいいけれど。

    そういう懐も持っていていいなぁ。
    日々。ガップリ四に組む生活。から視野が大きく広がった。

    本が大嫌い。人から薦められたら絶対に読まない。
    でも、しみじみいいなぁ。と思ったのです。

    人から薦められたら、やっぱり読んでみないと。
    頑固で傲慢な私が妙に納得した日でした。
    hasemasako * 気づいた事 * 06:44 * comments(2) * trackbacks(0) * - -

    コメント

    私の信頼するカイロプラクティックの先生が言っていた
    のですが、

    「あなたの幸運はあのお義母さんの家に嫁に来た
     事にある。」そうです。

    これでお義母と上手くいっていなかったら
    悲惨なことになっているでしょうね。

    苦言を呈してくださる知人の方がご病気ですか。
    その日々を貴重と思っておられる。

    それこそ頭が下がります。
    どんな言葉でも相手の成長を願うものならいいです。

    ゆっくりしたら、また会いましょう。
    焼酎を覚えました。といっても2杯飲むと酔って
    しまいます。ロックで。

    Comment by 長谷真子 @ 2007/04/20 9:08 PM
    感情の起伏は私も激しいですよ。何より他人と暮らすのは本当に大変なことでしょう。頭が下がります。実の親でも大変なのにね。日々いろいろ我慢することが多いのでしょう。日常の些末なことから大きな問題まで。

    自分にヒドいことをした人にどう対応するか、とある講演の場面でしたが・・・。キリスト教信者のその方は悩んでいました。教えではひどい仕打ちをした人を、それでも許さなければならないから。そして到達したのが「私は決して彼を許すことは出来ない。ですが神よ、このように私にヒドいことをした彼をアナタは許してください。」と。そして人間的な部分ではどうにもならない部分がある、と。それはもう自分の頭を越えた上のほうで解決しかない場合もある、ともいっていました。そう言う時に宗教が役立つのでしょうね。

    私は仏教の教えをいただいていますが、人に依るのではなく教えに依れと教えられます。かつて私は自分の抱える問題に対し感情的になってしまい、相手を受け入れられない時がありました。でもそれは情(感情)に左右された結果であって、大切なことを見落としてしまっていました。そのとばっちりはもう受け止めましたが、情に左右されることの恐ろしさを知った次第です。情に左右されずきちんと日々仏様の願われるところに依っていれば問題なかったのですがね。それを自分の経験に重ね合わせ命をはって伝えてくれた私の心の恩人である知人は今闘病中です。連絡は取れなくなりました。もはやかつてのように苦言呵責をいただくことも出来ません。どんなにかその日々が貴重だったか、今頃気づいても、時既に遅しですね。

    何だか抽象的な内容でごめんなさい。そのうちに、またね・・・。

    *苦しい春が一区切り。3月から溜まっていた休日出勤のうちの1日を取得中です。
    Comment by なぽう @ 2007/04/20 4:39 PM
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